阪神・淡路大震災(平成7年(1995年)兵庫県南部地震)
【基本情報】
●平成7年1月17日早朝の5時46分に淡路島北部(北緯34度36分,東経135度02分)を震源とするマグニチュード7.3、
最大震度7の地震が発生した。
この地震は内陸で発生するいわゆる都市直下型地震で震源の深さは16kmと浅いこともあり地表では凄まじい揺れが発生し建築物の倒壊等により
甚大な被害が発生した。
●この結果人的被害は死者6,402名(兵庫県データ)、負傷者43,792名で津波を伴わない地震そのもの被害としては戦後最大の被害をもたらした。
項 目 | 内 容 | 項 目 | 内 容 |
---|---|---|---|
①発生日 |
1995年1月17日(平成7年) |
②発生時間 |
午前 5:46 |
③地震の規模 |
M7.2 |
④最大震度 |
7 |
⑤震源域(深さ) |
淡路島北部(震源の深さ:16km) | ||
⑥全壊家屋 |
104,906棟 |
⑦死者(合計) |
6,402名 |
⑧焼失家屋 |
6,148棟(全焼棟数) |
⑨死者(火災) |
403名(内数) |
⑩半壊家屋 |
144,272棟 |
⑪死者(住宅倒壊) |
4,404名(内数) |
⑫火災発生件数 |
285件 |
⑬死者(関連死他) |
1,595名(内数/関連死:919名) |
⑭気象条件 |
<地震発生時の午前5時の気象条件> 天候:曇り、気温:2.6℃、風:東北東の風 風速2.1m/s(最大風速:6.8m/s)、湿度:69% |
<地震の概要とメカニズム> トップに戻る
●この地震のメカニズムは淡路島の野島断層の一部が最初に破壊し右横ずれ型の断層運動を起こし、その動きに連動し神戸市側の浅野断層、須磨断層、諏訪山断層、
芦屋断層などの断層群(六甲断層帯)が動いたことにより生じた地震である。
【図12-2】本震や余震の震源分布図
●特に淡路島の野島断層は右横ずれ型の断層運動により大きく動き、食い違い変位が2.3mにもなり地表にも断層が出現した。(写真12-5)
●もともと淡路島や神戸市付近には浅野断層、須磨断層、諏訪山断層、芦屋断層など多数の活断層が存在しており、今回の本震の震源は北東から南西に向う
これらの断層帯の直線上に存在する。
●【図12-2】はこの地震の震源分布図であるが本震とその後1ヶ月間の余震の震源が北東から南西にかけてほぼ
【図12-3】近畿・四国の地殻の動き 直線状に分布していて野島断層から六甲断層帯に向けて
ほぼ一直線上に余震が発生し全体の長さは50kmにも及んでいることが分かる。
●この地域には北東から南西に向う断層が多い理由は近畿・四国地方全体の地殻の動きに由来していると言われている。
●【図12-3】はここ10年間の地殻の動き量と方向を
示しているが全体として東から西に動いていることが
分かる。つまりこの地域は常に東西方向に圧縮の応力を
受けていることを意味している。特に強い圧縮力を受ける
【図12-4】震度7の分布図 場所では東西の圧縮方向に対して約45°方向に圧縮力を
逃がそうとする地殻の動きが発生し断層が多数発生したと言われている。
●実際地震後の計測により六甲山側が16cm隆起逆に西宮の海岸付近では沈降していることが判明している。つまり近畿地方の東西の地殻の圧縮力に対して
淡路島から神戸市に向うラインで断層の破壊が起こる度に、六甲山地側を盛り上げ大阪湾側では沈降して東西の圧縮力を開放していると言える。
結果としてこれらの動きが六甲山地や大阪湾などの地形をつくり上げてきたとも言える。
【写真12-5】地表に現れた野島断層 ●地震には内陸のプレート内で発生する「内陸地震」と
接するプレート面で発生する「プレート境界地震」、沈み込むプレート(スラブ)内で発生する「スラブ地震」の3種類に分類されるが、
阪神・淡路大震災は内陸地震に該当する。
●実際神戸気象台の観測データによるとこの地震の最大加速度は東西方向で617ガル、南北方向で818ガル、上下動成分で332ガルであったことから
特に神戸市では震度7相当の揺れが発生したようである。
<建物の被害> トップに戻る
■建物被害特徴と建物被害に伴う人的被害
●建物の被害は【表12-1】に示すように全壊住宅104,906棟、半壊住宅6,148棟で、そのほか一部損壊なども入れた建物全体の被害では住宅で519,438棟、
非住家で144,272棟と言う膨大な被害が出た。
【図12-6】阪神・淡路大震災での死亡原因
●この地震の大きな特徴として地震による死者(6,402人)の80%相当が家屋の倒壊や家具の下敷きになって死亡されていることである。
特に1階で就寝中に圧死した人が多かった。後に遺体を検案した監察医のまとめの報告によると神戸市内の建物倒壊で死亡された2,456人のうち
2,221人(92%)の方は約15分以内に圧死・窒息死でほぼ即死したことが判明した。
●特に2階建て木造住宅の被害は屋根瓦と2階部分の重みで1階の柱が折れて潰れるケースが多かった。1階が崩壊しても
2階部分は生存のスペースが残りやすく、2階にいた方の死者は少なかった。
【写真12-7】地震による家屋倒壊(神戸市灘区 写真提供:神戸市)
●また全・半壊した非住家の15%が行政の庁舎、学校、その他公共施設で神戸市庁舎の2号館では鉄筋コンクリート建て(RC造)8階建ての6階部分全体が
押し潰されて崩壊する俗に言うパンケーキクラッシュ(建物の階層全体が潰れる現象)が起きている。
●建物の中間層が潰れる被害は神戸市庁舎の他にも神戸市立西市民病院7階建ての5階部分が、兵庫警察署4階建ての1階部分がそれぞれ潰れている。
庁舎や警察、病院など重要な公共施設が建物に被害が出て機能停止すると地震後の住民への救助・救護や避難支援が大きく遅れより多くの人的な
被害を誘発することになる。
■建物被害が大きかった理由
●この地震では建物の被害が多かったか理由は簡単に言えば震度7クラスの揺れに対して十分な耐震力が無かったということである。
特に鉄筋コンクリート建て(RC造)では柱が横揺れでせん断し特定の階全体がそれより上の階の荷重に耐えられず押し潰されことなどが代表例である。
【写真12-8】中層階が押し潰された神戸市庁舎2号館
●神戸の高速道路ではRC構造の柱脚が上下方向の圧縮力で座掘(ざくつ:圧縮力を加えた際に押し潰れること)
したり鉄骨構造の柱脚では脆性破壊(ぜいせいはかい:強い力が特に急に加わることにより
塑性変形と言う延びで変形することなくスパッと割れてしまう現象)がおき道路が落下する過去に
経験したことのない事態が発生している。
●一般住宅でも古い建物では外壁、柱、梁などが腐食で白蟻害で腐朽していて耐震力が弱くなっていたり、当時の考え方として台風に強い屋根構造として
屋根瓦を土葺き工法にしていた家が多く、結果として屋根重量が大きくなり震度7クラスの上下、横方向の揺れに耐えられず倒壊した例も多かった。
■建物の耐震化の重要性
●この地震で倒壊した建物は現行の建築基準法(1981年/昭和56年改正)以前に建てられた建物(既存不適格の建物)に集中したことから、
耐震化の必要性に注目が集まり各地で耐震診断や耐震補強工事を進めようと言う声が上がった。
【写真12-9】地震に伴う家具転倒(写真提供:神戸市)
●前述のようにこの地震で死亡された方の80%は建物や家具の下敷きになっているが、逆を言えば自宅の耐震補強や家具の耐震固定をしていれば
多くの方の命が救われた可能性がある。
●多くの尊い犠牲を無にしないためも、この地震での教訓を生かし、すぐ出来る「自助」の活動として家具類の耐震固定から始めてみよう。
●次に1981年(昭和56年)5月以前に建てた新耐震基準に適合していない、いわゆる既存不適格戸建て住宅の耐震化のポイントを記載するが
具体的には専門家に耐震診断をしてもらった上で耐震設計とその施工を行うと良い。耐震化工事にはそれなりの費用がかかるため
行政の補助金を受けることもできるので市役所等の行政窓口に相談すると良い。詳細は本ホームページの
「地震の仕組みと被害」→「地震と建物被害」で確認すると良い。
<住宅耐震化のポイント>
①基礎の有筋化や割れ・ひび割れ部分補強
②バランスのとれた壁配置と壁量の確保
③上下階の体力壁の位置を合わせる(柱・壁の直下率向上)
④柱と基礎、柱と梁、柱と柱の接合部の専用金具よる固定
⑤屋根の軽量化(例:屋根材を瓦からスレートやガルバリウム鋼板等の軽量なものに変更)
■マンションの耐震化
●耐震性が弱い鉄筋コンクリート造り(RC造)の建物では柱が座屈し中間階がつぶれた事例が多かったこともあり既存不適格のマンションの耐震化が
喫緊の課題となっている。
●日本のマンションストック数は約590万戸であり内106万戸が既存不適格とされていて耐震性不足であると考えられるが、マンションの立替は183件、
約1万4,000戸の実施にとどまっている。マンションの耐震化に真剣に取り組む必要がある。
<火災による被害> トップに戻る
■地震による同時多発火災と延焼火災
●火災の被害は冬の早朝であったことも重なり地震直後から各地域で同時多発的に発生した。火災は285箇所から発生し6,148棟が全焼し、
延べ焼損面積は834,663m2にも至った。
【写真12-10】地震に伴う神戸市長田区の火災(写真提供:神戸市)
●地震発生当日(1995年1月17日)の午前5時の気象条件は、神戸海洋気象台の記録によると東北東の風、風速2.1m/s(最大風速:6.8m/s)で
風はそれほど強くない状況であったが特に神戸市長田区では午前6時ごろから延焼火災が発生して大火災に伸展し始めていた。
風が弱かったため延焼速度は20~30m/hとされており比較的遅かったと言える。
●一般に風が弱いと隣接している建物への輻射熱が低減され延焼速度が遅くなる傾向にあるが関東大震災では風速が15m/sと強風であったため延焼速度は
200~300m/hとされており阪神・淡路大震災での延焼速度の10倍であった。阪神・淡路大震災でももし強風が吹いていたら延焼火災は更に拡大して人的な
被害が大幅に増えと予想される。
【写真12-11】神戸市灘区の地震火災の跡(写真提供:神戸市)
●消火活動は地震により消火栓が使用できなくなり水利不足と道路の陥没や建物崩壊により消防隊の活動は困難を極めると共に消防力を遥かに超える
火災により対応できない火災が多数発生したことが延焼火災を拡大させて原因でもある。
●神戸市の消防職員は自らも被災するなか家族を残し職場に急行して任務に着き、消火活動に救命活動に全力を尽くされた記録が
「阪神・淡路大震災消防職員手記」
として掲載されている。多勢に無勢の状況で消火や救助活動に全力を尽くした消防職員がいたことを忘れてはいけない。
●大規模な火災の際は地域の消防力だけでは対応できないことから、この災害の教訓から「緊急消防隊」が創設され、大規模災害時は都道府県域を
超えた広域応援が可能となった。
■同時多発の火災における出火原因
●地震直後の火災は熱源として利用していた電気機器やガス器具が地震で転倒したり可燃物が覆いかぶさるなどで出火したのが原因と思われ
神戸市内で50個所以上で同時多発的に発生した。
●地震翌日以降では電気の復旧に伴う通電火災(倒れた電気ストーブ等の発熱電気機器に通電が開始されことにより付近の物が
加熱され火災に発展するもの)が増えた。
●通電火災を防ぐには避難する際に分電盤のメインブレーカーを遮断(OFF)する必要があるが、地震直後は気が動転してそこまで気が廻らないこともあり
感振ブレーカーに取替えたり、おもりが落下する力でブレーカのレバーを押し下げる簡易なものの取り付けが望まれる。
<人命救助> トップに戻る
●この地震では119番通報による救助要請が殺到し救急隊の活動能力を遥かに超える事態となり実際は消防では対応しきれず、要救助者の77%を
救出したのは近隣住民であった。
●この震災では近隣住民がお互いに助け合い、負傷者などの救出と応急手当を行い人命を救う「共助」の精神の重要性が見直された。
●近隣住民による救助活動では救出のための資機材が不足し消防署に資機材を貸して欲しいとの声が殺到した。この教訓から地域社会での防災会活動
では救出のための最低限の資機材(バール、のこぎり、ジャッキ、ハンマー他)を普段準備しておくことが望まれる。
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【引用】
①【図12-2】・【図12-4】:気象庁発行「阪神・淡路大震災から20年」から引用
②【図12-3】:国土地理院 発行「過去10年間のテクトニクス運動」から引用
【出典先】
①【写真12-5】,【写真12-7】,【写真12-9】:神戸市提供(公開記録写真より)
②【写真12-10】,【写真12-11】:神戸市提供(公開記録写真より)
③【写真12-8】:一般財団法人消防防災科学センター災害写真データベース提供
【参考文献】
①気象庁技術報告書 第119号 1997年
②神戸市発行「阪神・淡路大震災の概要」(第1部)
③国土地理院発行「兵庫県南部地震の概要」
④気象庁発行「気象庁技術資料第119号1997年」
④防災士教本(平成28年7月1日第2版)
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